2020-04-10 第201回国会 衆議院 経済産業委員会 第5号
その結果、確かに、三月十六日月曜日に関西電力に出した業務改善命令と関連資料、そして当該業務改善命令発出に係る文書の写しについて資料請求があり、これを受けて、三月十九日木曜日と二十五日水曜日に藤野委員に対して業務改善命令の実際の施行文書の写しを提出したと聞いております。
その結果、確かに、三月十六日月曜日に関西電力に出した業務改善命令と関連資料、そして当該業務改善命令発出に係る文書の写しについて資料請求があり、これを受けて、三月十九日木曜日と二十五日水曜日に藤野委員に対して業務改善命令の実際の施行文書の写しを提出したと聞いております。
○佐藤政府参考人 八月一日に、業務改善命令発出のための弁明の機会の付与が行われました。これに対しまして、八月十五日付で弁明書の提出があったということでございます。
そこで、竹中大臣に、私はあなたに伺っておきたいのは、なぜ、九五年五月に検査結果の通知を送って回答を求め、八月には業務改善命令発出のための弁明付与の通知を発出しながら、業務改善命令を撤回してしまったのかということです。それから、最初の経営健全化計画の提出がなぜ二年もおくれたのか。
何よりも、判決の確定している小倉の陳述というのを私今ごく一部紹介しましたが、八月一日に近畿財務局から業務改善命令発出のための弁明の機会付与の通知が来て、豊永社長は初めて慌てた様子で八月十五日に弁明書を出し、そして八月二十一日に業務改善命令が入っていると思われる社長あて親書が届いたが、持参して、近畿財務局に抗議して、受け取れないと突っ返した、同和団体云々の話があるんですが、それで、結局あれは後から社長
判決の確定している小倉の陳述によりますと、九五年八月一日に近畿財務局から業務改善命令発出のための弁明の機会付与の通知が来て、豊永社長は初めて慌てた様子で、八月十五日に弁明書を提出しましたと。近畿財務局金融三課の課長のもとの上席調査官が担当者だったと。